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新大久保駅を回避せよ

2012/05/16 08:01

 

JR山手線・新大久保駅は怖い:


15日の早朝、我がアパートの前のバス停で語り合った当アパートの高齢のご婦人は「もう荷物を持って出かける時は、新大久保駅では何時押し倒されるかの恐怖感があるので、利用しないようにしている」と厳しい口調で語られた。対策としては近くのバス停まで少し長い距離を歩いてもバスで新宿駅西口まで廻っておられるそうだ。

当方も同感であると申し上げた。4月28日の午後3時に、神戸に向かうべくトローリー・ケース(キャリー・バッグのことである)を引っ張って新大久保駅に到着して、「しまった」と痛感した。多少遠くても、エレベータもエスカレータも備わっている高田馬場駅を利用すべきだったのである。

新大久保駅忌避の理由は明瞭で、第一に改札口周辺の大混雑で侵入するもの一苦労である。次は一個所しかない狭い階段を怒濤のように降りてくる女性の大集団の流れに逆らって、仮令小型なケースでも持って上がるのは危険極まりないのである。勿論、混雑の原因は日本全国(誇張ではない)から韓国街を目指して押し寄せる人の群れである。

詳しく言えば、流れに逆らおうとするのは危険であるだけではなく、つけいる隙間がないので困るのだ。シルバーパスの所有者としては極力JRは避けるようにしてきたために、午後3時を過ぎてもあの混雑とは些か調査不足だったかと反省した。

以前にも指摘したが、新大久保駅は改造工事をするか少なくともエレベータかエスカレータの何れかを導入して欲しいのだ。だが、あれほどの混雑を避けて日中に工事をすることは物理的に不可能だろう。だが、JRは事故が起きる前に何とか工夫すべきだと思う。

何分にも高田馬場駅に向かうには短距離ではあるが2個所の急坂を上下して越えねばならず、ここから近い戸山口には狭い階段のみしかないのである。残された手段は、1時間に1本のバスがあるだけだ。

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コンプ・ガチャとスマホ

2012/05/16 07:20

 

全てのコインには両面がある:


私は何時のことだったか記憶はないが、携帯電話を“20世紀最悪の開発商品”と揶揄して「文明の利器に対して何という暴論を」というお小言を賜った苦い経験があった。この方は私の主張を最後まで読んで頂けなかったようだった。

私が指摘した点は「子供に優しい我が国の文化では、中学や小学校の子供にも(みんなが持っているとせがまれて)持たせた結果で使いまくられ、月間に何万円どころか十万円台まで使われて家計は言うに及ばず、可処分所得から消費に廻らなくなって景気がやや低迷する原因になった」という説まで出たことだった。

しかも、その当時では諸外国では携帯電話は大人というかビジネスに携わる人が重用するもので、「子供が持って電話を掛けまくるのは我が国独特の現象」とまで指摘した有識者もいたことを忘れてはなるまい。

そこに今やSMART PHONE、即ちスマートホン、略してスマホの大流行である。近代の文明の利器は進化・発展を限りなく続けている。何処に行ってもあの小さな矩形の物体に指先で触れている人たち、特に若い女性が多いのである。

そこに今度はその文明の利器の発達に着目したゲーム会社がスマホ向けの素晴らしいソフトを開発し、大流行しているそうだ。それくらいは関心がない私でもテレビCMから判断できる。

 

そして、今回は「コンプ・ガチャ」なるものに熱中した子供(なのだろう)が月間数十間円を親のクレディット・カードの番号を登録して使ってしまったとの一例が報じられた。

「そらみたことか」などとは言わないが、何年か前の私の指摘と同じことが起きるべくして起きていた。ゲーム会社2社はこのゲームを近く廃止すると発表したようである。彼らがかなりの利益を挙げていたようで、1社はプロ野球の球団のオウナーとなっている。

私はこういう現象もある程度は批判する気があるが、最も気に入らないのが最初は何のことか見当も付かなかった「コンプ・ガチャ」という略語である。騒動の結果で、これは「コンプリート・ガチャ」というゲームソフト(なのだろうか)を縮めたものと知り得た。

解説を聞けば「ガチャという遊具から出たカードを完全に揃える」という意味であるらしい。厭らしいのは、何でカタカナ語で、誰がそれを略称にしたのだろうかという不快感である。

 

コンプリートとは“complete”なのだろうが、動詞で使ったのか形容詞なのかと尋ねてみたい。誰に?ここでカタカナ語排斥論を滔々と打ち上げる気はないが、その無神経さが堪らなくイヤだ。

ことの序でに言いたいのだが、この手のカタカナ表記の略称は何処の何方が提唱されてマスコミが使うのだろうかということ。最近、最も嫌悪感を覚えるのが香川真司の移籍先と噂されている“Manchester United”を「マンU」(だったか?)と略すことである。私は後難を怖れて言えば、やや品格に欠けてはいないかなと感じている。

 

この際、屁理屈と思われても言っておくが「スマホ」ではなく「スマフォ」の方が英語に発音に忠実だと思うよ。


さらに余計なことだが、英字紙は“United”と表するようだ。スポーツ欄にしか出てこないだろうから、これを見た人が「国連」とは思うまいよ。マンチェスターには“City”というティームもあるが、これは何処かで「マンC」としていたが、同じ手法だろう。

話しが略称に逸れてしまったが、文明の利器の新たな高みへの発達は大変結構なことだと思う。だが、ここでも私が好きな表現である「全てのコインには両面がある」を採り上げて、この一文を締め括ることにする。

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DNP

2012/05/15 19:11

 

激変に時代に対応するには:

 

近頃急に「DNP」というCMがテレビに頻繁に流れるようになった。「何の会社」と思われる方もおられるかと感じているが、CMが大日本印刷のことだと知らせている。

 

DNPは世界第一位の1兆5千億円の売上高を誇る、大ライバルの凸版印刷と共に世界的な印刷会社である。と言うよりも、広範囲な情報関連企業と言って良いかも知れない。

社長の北島義俊氏(1933年生まれ)は7億数千万円の年収で日本人第一位であることでも著名であるそうだ。その大日本が何故CMを打つようになったかを考えてみた。

言うまでもないが、印刷は紙と密接な関係にある産業で、印刷媒体の旗頭であろう。それだけではなく各種の包装容器も印刷とは切っても切れない間柄である。

 

しかし、ここで私が詳しく言うまでもないだろうが、何時の頃からが紙の消費を節約するのが美風の如くとなって「ペーパーレス」等という聞くだけで胸が悪くなるような流れが醸成され、一向に衰えない。

それだけではない、IT化の波は印刷(紙)媒体を衰退に追い込み、アメリカで完全な意味での日刊新聞が消滅した。これ即ち、出版業界を大得意先とする印刷業界には、紙パ産業界共に由々しき事態であり大問題でもある。

印刷二社は早くから単純な印刷だけの業態を脱しており、大日本などはシャドウマスク等と言うテレビの部品等の印刷以外の分野に進出していた。しかし、一般の消費者の目から見ても、紙に印刷された製品が減少しているのは明かだろうと危惧する。例えば「電子書籍端末」と訳されている“iPad”の普及は紙需要から見れば敵であろう。

尤も、私が1995年に知り合った自営の製版業者の何事に関しても鋭い一家言を持つ社長さん(惜しくもすでに故人であるが)は「解っているさ。印刷などはそう遠くない将来に消えていく産業だ」と、確信的且つ自嘲的に言っていたものだった。大日本の北島社長もとっくにそういう危機感をお持ちだろう。だからこそのCM作戦なのだろう。

その現れか、同社は丸善を買収しジュンク堂に投資されるなど川下と言うべきか川上かが定かではないが、多方面に進出を企てている。出版社の電子書籍端末分野への進出にも協調するようだ。

私はこの流れを印刷業界並びに紙パ産業の危機と捉えるよりも、世の中の多方面に於ける広範囲で急速な変化への対応策と考えて眺めている。紙の節約が天然資源の保護に通じるという見方には私は当然ながら与しないが、IT化等による世の中のと需要形態の変化に素早く対応していく政策には大賛成である。

これからは、上に採り上げた慧眼の製版会社の社長さんのように、鋭く遠からぬ将来を見通す眼力が要求される時代であると思っている。当方とほぼ同年齢の北島氏はどのくらいの先を見通しているのだろうか。

(余談だが、私は日本の会社勤務だった1957年頃からW社をリタイヤーする1994年1月末まで、大日本印刷と縁が切れたことがなかった。)

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あーあ、東京電力

2012/05/15 13:12

 

独占体制が長年続けば:


私は1996年の同社の新宿支店での経験から、東京電力という会社に疑問を持つようになった。それ以前はほとんど関心がなく、ただ単なる電力供給の会社という認識だったものが、実態は怪しからん会社だと認識できた次第だ。

私が「電気事業法」の存在を知る以前の東京電力に対する小さな疑問点は「何故電力を供給するだけの会社があれほど世間で尊ばれ、第七代経団連会長の平岩外四が生まれるのか」という素朴なものだった。

その背景にあったのが、2004年に亡くなったビジネスものの作家・Authur Hailey(アーサー・ヘイリー)が1979年に上梓した“Energy”(エネルギー)である。この小説ではアメリカに於ける電力会社の内幕を余すところなく描いてあると同時に、アメリカにおける電力会社の格の低さというか存在感の乏しさを感じさせたのが印象的だった。即ち、我が国の電力会社とは余りに異なる中小企業的な存在であると知り得たのだった。

しかし、結果的にはアーサー・ヘイリーの本を読んだだけに止まり、対比して考えた東電に対する関心もそこまでで終わっていた。ここまでの経験を基礎にして1996年の出来事に出逢った上で、3.11以降のこの会社の経営力不足、危機管理の不備と不行き届き、誠心誠意の精神の欠如、甘ったれ的精神構造と傲慢さ、有名大学卒の社員の増長振り等々が明らかになってきた。

結果として、東電は我が国全体の産業の危機は言うに及ばず、国民生活の限りなき不安まで招来してしまったのだった。私は社外役員を増強するであるとか、一般家庭向け値上げ案を厳しく審査するといった程度では、この会社の経営体質を転換できることなどないと確信している。

 

ここでは、私の好みの“Better late than never.”の精神で、この会社の全社員の性根を叩き直すこと辺りから始めないと、またぞろ「値上げは権利」などと言い出す純粋培養で思い上がった幹部が出てくると保証する。

良く考えなくとも解ることだが、長い年月広大な市場を一社で独占してくれば、その楽さに馴れて思い上がりお客をお客とも思わない社員ばかりになるのは当然である。

 

アメリカでも、ある市場の40%のシェアーを長年保持していた事業部の社員の思い上がった態度に呆れかえった経験があった。東電は40%どころか独占だったのである。独占できる体制を作った側にも重大な責任があったのではないか。

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東京電力とは如何なる会社か

2012/05/15 07:24

 

とんでもない会社に電力供給を依存したものだ:


東京電力という会社が如何に駄目かをマスコミも徐々に本格的に指摘し始めたと私は感じています。私がこの会社は手に負えない傲慢さがあるだけではなく思い上がってもおり、とてもまともではないと判断した1996年の発表済みの経験を、あらためて語ってみます。私はこの経験で東電を見放しました。

それは当アパートのシニア会の行事で、東海原子村の施設を見学した時のことでした。終了後、感想を求める質問用紙(アンケートとも言うようですが)が配られました。私は当時業界の専門誌でコラムを担当しておりましたので、「この施設の整然とした管理の状態に触れておこうと考えている」と、深い慮りなしに記入しました。

すると、2~3日後に東電の新宿支店から「お目に掛かりたいので来店願う」と電話があり、またもやナイーヴ(これが正しい使い方)にも出向きました。すると課長と若手の担当者が現れて応接間に招じ入れられて「何を書くのか。原稿を事前に見せよ」と強硬に要求されました。驚きました。

そこでまたもや純情にも翌日だったかに原稿を持参してご検閲願いました。そして、有り難くも合格し「これなら良し」とご掲載の許可を賜りました。「この会社は何様のお積もりなのだろうか」と、この時点で如何にのろまな私でも“東電”という会社のトンデモ体質が認識できました。

在職中はほとんど営業部門にしか籍を置いたことがない私は、第一印象を重視しており、その印象で「長いお付き合いをお願いする会社か否かの判断の材料に使ってほぼ誤りではない」と信じております。従って、この会社には深入りしないようにと上司に進言する部類に属すると判定しました。それほどの世間知らずと思い上がり体質を、手に取るように感じたのです。

さらに驚くべき現象も起きました。1996年は(恐らく人生で最初で最後だろう)著書を上梓した年だったので、迂闊にも世間話の中でそれに触れました。すると、一橋出身と名乗った若手が興味を示し「2冊欲しいから持参願いたい」とのご要望がありました。

そこで何と翌日嬉々として持参しました。するとどうでしょう、私が入れられたのはいわば「出入り商人控えの間」的な衝立で仕切った土間?の片隅でした。そこで著者は代金を頂戴して退散しました「この会社は正常な感覚で運営されていない」と確信させられて。

いくら自分の迂闊さで招いた事態であっても、あれだけの傲慢な姿勢をを若い社員が平然として外部に見せる会社は経験したことがなく、それ以前に東電とは如何なる会社かという知識がなかったので、本能的というか直感的に問題が多い会社だと痛感した次第。

その体質が脈々と社内に醸成され、若手もそこにどっぷりと浸かっていた結果が、1996年に出世街道のどの辺りのおられたかは知る由もない現社長が「値上げは権利」などと平然と言える神経を養っていたのでしょう。

たったそれだけの経験で東電が宜しくない会社と解ったのかという疑問もあるでしょうが、財務諸表の検討、信用調査等々を経てその会社を診断する方法は勿論あると承知しております。だが、社内に一歩踏み込んだ時に第一印象として感じるその会社の雰囲気も重要な判断材料であると、私は経験上も言えると申し上げて、回顧談を終わります。

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近頃気懸かりな事柄

2012/05/14 13:47

 

先ずは消費税率引き上げ関連から。私はTBSが頻繁に起用する藤井裕久が気懸かりだ。彼は税調会長だそうだが、13日にあっさりと前原が云々した軽減税率の導入を否定したかと思えば、現金を返す方式を主張していた。

私は食料品に課税する我が国の方式を諸外国と比較して疑問に思っていたが、その点を改善できるかも知れない消費税率引き上げを野田政権が命を賭けて実施しようとしている現在が好機かと思っているので、藤井老人(遺憾ながら当方と同学年である)の頑なな姿勢が大変気に入らない。老いの一徹にも限度があるだろう。

次がマスコミの原発再稼働か全面的脱却かに関連する報道姿勢に不安を感じる点だ。弱腰としか見えない野田政権が、もしかしてこの夏の電力供給不足を真剣に危惧して一部の原発の再稼働を唱えているのを阻止せんがために、30メートルを超える津波の襲来に備えよと世論を喚起(煽動か?)したかと思えば、全国に数多く存在する活断層の脅威を採り上げて、原発所在地での危機を論じている。

しかもそれだけに止まらずに、「富士山の噴火の可能性」を専門家の意見まで導入し、論じ始めたのである。専門家でも何でもない単なる一市民の私には、その脅威云々は兎も角、よくもまーこのように次から次へと罪なき一般大衆に恐怖を与える材料を報じてくれるものだと、寧ろ感心している次第だ。私にはそういう種類の危険性を論じる知識も何もないのである以上、緊張ではなかった謹聴させて頂く以外ないではないのが気懸かりである。

 

マスコミの方々は電気代が上がっても良いのか?

最後は何度でも言いたい東京電力の「懲りない経営姿勢」は気懸かりを遙かに通り越して、「不愉快至極」に限りなく近付いてきたことだ。今回10.8%とか称して打ち出した一般家庭向け値上げは小細工が過ぎると私は感じた。

時間帯別料金用のメーターが極端に少ないことはすでに採り上げた。その上に、彼らの値上げに対しては一般家庭が産業需要家ほどに真正面から値上げ拒否を通告してこないだろうと計算している臭いも感じている。だが、私は報道されている月間に値上げされるだろう幅の金額の小さいことが、実は気懸かりなのである。

考え過ぎかも知れないと断った上で言えば、わざと請求金額の小さい家庭を例にとって月額が数千円で年間でもいくらと言わせているが、夏場にこの高温多湿の東京で室内での熱中症を回避すべく空調を使えば、月間の請求額はあっという間に2万円に迫るのである。私は節電よりも折角救って頂いた命を優先したいと考えている。

そこを言わずして、もしかすると多くの家庭が「その程度で済むのならば、何とか我慢して節電でも実行するか」とでも思わせられるかという打算が働いているのかなと考えたくなる。私は何度でも言うが、こちらに何の落ち度もないのに、傲慢不遜にして消費者を舐めてかかっているあの会社の安易な経営姿勢を認める気はないのだ。

公的資金で救われているというか延命させて頂いていながら、税金から来る支援に限度があるとでも考えたのか、厚顔無比な値上げを記者会見で表明すれば、枝野が承認すると多寡を括っているとしか思えない姿勢には激しい嫌悪感を覚える。しかも、最早東電の管轄下を離れたくても、行く先は海外しか残っていないのである。彼らがこの難局から脱出するために何を考えているのだろうかが非常に気に懸かる。

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英語教育改革論

2012/05/13 22:34

 

12日にある席で初めてお目に掛かったある私立高校の元校長先生に、英語教育改革論を滔々と論じて持論をご披露してしまった。先生は反論されることもなくお聞き下さった。そして「読解力中心の我が国の英語教育には改善の要があるのでは」とまで言われた。解っておられる先生もおられるのだと些か意を強くした。

私は我が国の英語教育の在り方には大いに疑問の点があるし、万人が自由自在に英語を操ることが出来るような次元までその能力を高める必要はないと認識しており、万人に強制すべき性質ではないと考えており、確たる目的と目標を定めた者が一定以上の水準を目指して努力すべきであると申し上げた。そして、この説には賛成して頂いた。

さらに論を進めてTOEIC偏重の教育にも大いに疑問があり、企業側が採用の基準に一定以上の点数を要求することも理解できなくはないが海外での交渉能力を判断する場合に、TOEICが適切か否かにも疑問があると力説した。

しかし、話が進んでいる間に先生がもとは英語を教えておられたことが解った。これは初対面の方に失礼なことをしたかと心中大いに反省した。だが、先生は現実に会話の力を受けられない教育法には問題があると率直に認めておられた。そして、話題は別のことに変わっていった。

私はこのように改革の必要性を認めておられる先生の存在があっても、引退しておられることでもあり現実には少数派ではないのかと考えている。何れにせよ、全体の流れを変えるのはまだまだとても容易なことではないかと感じている。

また、結論としては「改革するにしても如何なる方向と水準を目指すのかも、文科省側にも教員の方々には検討の余地があると思う。また、もしも実用性を高めることを目指すのならば、試験の成績の結果に偏重し、受験対策化していると私が思っている教え方の再検討が必要である」との意見をのべて今回は終わりとする。

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民主党はバラバラ

2012/05/12 07:15

 

Figureheadでは:


12日朝のTBSの「サタデーずばっと」に出演した自民党の小野寺五典が、「常に民主党は話し合おうと言うが、その時には党内が割れていてどれが話し合うべき民主党なのか解らないので困る」と、彼独特の悲壮な声で批判した。

私は「確かにこういう見方が出来ると思うが、実質的に野田民主党の党員ではない小澤一派を除外して考えれば、統一されているのではないかな。しかし、小澤一派を御し切れていないために、自民党に話し合いを拒む絶好の理由になっているのではないか」などと、ふと考えながら聞いていた。

野田総理は「政治生命を賭ける(懸ける?)」と再三再四強調して決意のほどを示し、繰り返して野党に話し合いへの参加を求めるかと思えば、聞きようによっては協議参加を懇願してきた。その姿勢が彼が如何にこの消費税率引き上げ法案に一所懸命であるかを表す手法の如きに見える。

野田総理のこの姿勢というか態度を、小泉元総理が優勢民営化に掛けた解散に訴えた手法に準える向きもあるが、私はその説には違和感を覚える。即ち、小泉元首相の場合はずっと以前からそれを主張して如何なる批判を顧みずに抵抗勢力を排除してしてまで所期の目的を達成した。

だが、野田総理は再三批判されるようにマニフェストにはなかった、政権の座にある間は云々と言っていた消費税率引き上げを、いわば不自然に唱え始め、財務省に洗脳されたとの批判を顧みずに政治生命を賭けると言い出して、揺るがずぶれずにヨロヨロしながら一路邁進しているだけと私は見ている。

消費税率引き上げ自民党民主党に言われるまでもなく公約に掲げていたように、決して間違っている政策ではないと思う。そこを小澤一派はマニフェストに戻れと批判し、自公は総理の所謂「抱きつき手法」には見向きもしていないようだ。

しかし、私が色々な報道から知った限りでは、財務省はあの手この手で方々に陰に陽に働きかけて、法案成立の方向に向かって策動している様子である。これは野田総理をバックアップするのではなく、巷間批判され続けた露骨な「財務省主導」の現れである。

野田さんこのような状況下にある貴方を「英語では“figurehead”(見せかけのリーダー)」と、言うようですが。

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カタカナ表記の悩ましさ

2012/05/11 19:31

 

人名と地名の表記の難しさ:


私はもう長いこと専門誌の海外ニュースの和訳をお引き受けしている。その私はご承知の方も多いかと思うが、カタカナ語排斥論者であり我が国の英語のカタカナ表記に疑義を呈してきている。

実は、私は正直に言えば「それでありながら、長年人名と地名のカタカナ表記に悩まされてきた」のである。例えば、英語系ならば“George Bush”や“Hirally Clinton”などには悩む余地はない。

 

だが、アメリカにはおよそ全世界の、でなければ全ヨーロッパと南米の国の出身者が溢れている。そういう方々の苗字をどう表記するかに苦しむのである。

例えば、W社のカリフォルニア州に工場には南米系の人が多かった。中に“Troyano”という人がいて全員が「トロイヤーノ」と思って、そう呼んでいた。ところが、当人は「自分はトロイジャーノである」と密かに嘆いていた。これは言うまでもなくスペイン語の読み方である。

“Wilen”さんの場合は当人も周囲も「ワイレン」としていた。しかし、彼はフランス系でフランス語読みでは「ウイラン」だと認めていた。私はフランス系のジャズのサックス奏者に“Barnet Wilen”という人がいて、アメリ カでも「バルネ・ウイラン」で通用すると知っていた。言うまでもなく、英語読みすれば「バーネット・ワイレン」となる。どちらがより広く我が国とアメリカで使われているのかに悩むのだ。

女性でファースト・ネームを「ジャネー」と呼ばれている人がいた。この方もフランス系の誇りを捨てなかったようで、スペルは“Janet”で何のことはない「ジャネットさん」だったのだ。

これなどは未だお手柔ら中方で、ポルトガル語系、北欧系などの人物が登場すれば問題はもっと複雑で、私にはそれぞれの国でどう発音されているかが解らないのであるから。そのような難関にぶつかれば「英辞郎」とGoogle等の検索で、従来カタカナでどのように表記されているかを必死で探る。そこには到底カタカナ表記に対する持論の介入の余地はないと決めている。

地名の例も挙げておこう。スペインにはアンダルシア地方にフラメンコで知られた有名な“Sevilla”がある。我が国表記は「セビリア」である。だが、私が現地で聞いたのは「セヴィージャ」だった。しかし、これを「スペインではセヴィージャだからと言ってそう訳すか」という問題が出てくる。矢張り「セビリア」を取るしかないと考える。

カナダにもカリフォルニア州にもある“Ontario”は「オンテァリオ」と聞こえるからと言って「オンタリオ」を使わないことは出来ないだろうと考え込んでしまう。“Maryland”という州は、何度聞いても「メレレン」にしか聞こえないが「メリーランド」と表記するしかないだろう、如何にカタカナ表記として不適切かも知れないと思っても。

こういう表記で自己主張を貫かない方が多くの読者のためには無難だとは思っても、何処となく後ろめたさに似た思いも残る。自分自身では“patriot”を「パトリオット」と表記するのはおかしいと主張しても、地名と人名では一歩引き下がるのが自然で適切だと考えている。

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全原発停止に思う

2012/05/11 14:44

 

野田総理よ、決断するのは貴方だ:


原発反対論者は全ての原発が止まってしまった現在ではさぞかしご満足だろうかと思いきや、まだまだ原発反対運動を展開し続けている。それに加えて、再稼働反対も声高に唱えている。私には彼らの料簡が未だ理解できない。

現時点では仮定の話に近いのだが、今年の夏が猛暑となった場合にはかなり高い確率で極端な電力供給不足となって、計画停電だの使用制限令とやらがまたぞろ発令されてしまうだろう。即ち、著しく不便で不自由な夏の生活に追い込まれるだろう。

関電は大飯原発だったかを再稼働させれば、ギリギリ1%くらいの余裕が出て停電を回避できると言っている。だが、福井県と京都府知事は再稼働を容認していない。何故か東電管内は関電ほどの危機は予測されていない。

ふらつく枝野経産相はそれでも計画停電の危険性を排除せず、節電を呼びかけている。確かに何事にもせよ節約は美風だろうが、ここまで電化生活を普及させておいて、今更節電もないものだろうと言いたい。それとも、前総理大臣の置き土産の太陽光パネルの中国からの輸入でも促進したいのかと、痛そうな腹を探りたくもなる。

私は反対論の方々はここまで国全体に影響を与えて最早ご満足ではないかと、希望的に考えていたが、決して手を得ゆるめては下さらない。すでに述べたが「彼らとて、これまでは原発で発電された電気の恩恵に浴して生活してきたのではないのか」なのである。

しかも、彼らは計画停電や供給不足のために、高コストになってしまう自家発電を強化しても操業を維持して、我々と彼らの生活の維持に努力しようとする産業界に平然と足を向けて恥じない姿勢を採っているのである。空洞化も止むなしとの財界の悲痛な声が聞こえないのか、理解できないかの何れか、或いは両方だろう。

私は既に原発への依存度を段階的に引き下げていくことを是認する考えは述べてある。彼らは全面的に恒久的に止めて国民の生命の安全度を高めることがその崇高なる狙いの一つのだろうが、それが国全体の産業界の犠牲において為されることのマイナスは考慮していない様子なのが奇怪である。

だが、安全なる電力を十分に産業と国民の生活のために供給する態勢を整えるのは政府の仕事であり、それを指揮する総理大臣の責務であろう。しかし、彼、野田総理大臣は電力以外に解決せねばならない重大な問題を数多く抱えているだけではなく、輿石頼みの「対小澤元代表」との対決案件をも抱えている。消費税案件は漸く国会で審議に入れるようだが、先行きの見通しは不明だ。

何度でも言うが、野田総理が決断する必要がある重大案件は全て二者択一である。しかし、一般論として我が国民にとっての難関は二つに一つの決断と決心をすることである。野田総理のように決めることの結果を怖れて逡巡し逃げ回っているように見えるのは、甚だ遺憾である。

巷間噂もされている「小澤と対決ないしは小澤切り」を試みる内向きの勇気があれば、その代わりに再稼働に否定的な地元を自ら廻って説得するとか、沖縄を再三訪れて普天間問題の解決を仲井間知事に迫ることなどは、彼の責任である国家の重大事だとして最優先すべきだ。

 

それが出来ないようならば、悪いことは言わないから党内に反対派が多い消費税問題など諦めて、さっさと退陣して貰いたら如何か。

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